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「アルティメット」私が文化シヤッターBuzzBulletsに入った理由

BuzzBullets
この記事を書いた人
能勢 雷人

大阪体育大学BOUHSEARS(2007~2010)〜文化シヤッターBuzzBullets(2011~2022)〜Bustar
ポジション:ハンドラー
日本代表歴:2010WU23UC、2011,2015,AOUC、2012,2016,WUGC
埼玉県フライングディスク協会事務局長
JFDA公認ゲームアドバイザー
U.C.ABLAZERS(ユースチーム)創設

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こんばんは、バズバレッツの雷人です。

先日「簿記3級」資格取得を目指し、11月の試験に向けて勉強するため教材をポチりました。

コロナ期間で時間がいつもよりある方もいらっしゃるかと思いますが、この期間をチャンスと捉えて、自己スキルアップのために時間を使ったり自己投資をされてみてはいかがでしょうか。

さて、今日は「私が文化シヤッターBuzzBulletsに入った理由」です。

すでにいくつかの記事で少しずつ触れている内容ではありますが、改めて書きます。(関連記事「社会人になってもアルティメットを続ける理由とその魅力」)

数少ないかもしれませんが「バズに入ってみたい」と思ったり、「高いレベルでアルティメットをやってみたい」という方の後押しになればと思います。

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私が文化シヤッターBuzzBulletsに入った理由

私がバズ(文化シヤッターBuzzBulletsは長いのでここからは「バズ」で書いていきます)に入った理由は大きく考えると1つだけです。

それは「2012年WUGCに出場し、世界一をとるため」でした。

2012年WUGCに出場し、世界一をとるためにバズへ

先日の記事「海外遠征記録〜初めての世界大会・2010WU23UC編〜」でも書きましたが、私はありがたいことにU23日本代表として世界大会に出場し、あと1点オフェンスキープすれば世界一のところでブレイクされ世界一を逃しました。

実は個人的には、正直日本が世界大会でどこまで通用するかもわかっていなかったので「優勝するぞ」という意気込みはそこまでありませんでした。

リーグ戦やトーナメントを勝ち上がって行くにつれて「あれ?案外勝てるな・・。決勝来ちゃったよ」って感覚でした。

そこの意識の差がカナダとの取ったもん勝ちでの最後の一点を取れたかどうかというところにつながっていると思います。

「優勝する」と強く願っていた訳でもなかったのですが(これは言わないほうがよいのかもですが…)、やはり負け方が負け方だったので悔しさがありました。

世界大会での悔しさは世界大会でしか取り返せません。

2010年大学選手権での転機

以前にもどこかの記事で紹介しましたが、この当時バズは人数が少なくリクルートに力を入れていました。

そして大学選手権本選の真っ只中で「オークリーのサングラスをかけた、いかついお兄さん(世界のM野さんね)」に声をかけられました。(関連記事「2010年夏、Buzzがスカウト活動に注力した理由と背景」)

「2年後、ナショナル(WUGC)あるけどどうや?」

と。

これがこの後の人生を考える大きなきっかけとなりました。

正直、自分が大学卒業した後に何がしたいのかモヤモヤしていました。

いわゆる卒業後にやりたいことが見つかってない迷子の四年生でした。

生まれ故郷である岡山県の教員採用試験はWU23UCと日程が被っており受けられなかったので、卒業後は講師でもやりながら岡山でスローライフかな〜と思っていました。

ところがそんな嬉しいお誘いを受けてしまったので、卒業後についてどうするか改めて考えました。

正直めちゃくちゃ悩みました。

WUGCに出るにはバズに入るのが一番の近道だった

当時のWUGC日本代表の選考方法は、メインのチームが1つありそこに数人他のチームからメンバーを追加するという形で行われました。(アメリカやカナダなどの他国も同じような選考方法でした。)

そのため、2012WUGCに出場するためには「バズバレッツに入ること」が大きなアドバンテージになることを意味していました。

もう一度日本代表として、世界と戦うチャンスが得られる。

そしてそんなチームからお誘いを受けている。

しかし、やっていけるのか。自分のレベルで通用するのか。当時付き合っていた岡山にいる彼女とはどうなる?いろんな要因があり、さらに悩みました。

でもきっと答えはこの頃から決まっていたのだと思います。

同期もやるってよ

1人で悩んでも難しいと思ったので、一緒に声をかけられていた古澤選手#18や、WU23UCを一緒に戦った同期にも色々と相談をしました。

確かな記憶ではないかもしれませんが、日体大の草野選手#16が「やるならバズ」と決めていて、今はやめてますが仲本選手が「バズかノマで悩んでる」といった感じで、ノマからバズに移籍した菊池選手#1は「ノマでやる」と言っていました。

いつ頃から話し出したのか忘れたけど、和歌山大学の「南紀の弾丸」こと芝選手#97が「俺バズ入るで〜」と言っていることを知りました。

なんか案外同期多そうだな。

これが1つの心の支えになったことは間違いありません。

結局蓋を開けてみれば、上記のメンバーと信州大学出身のガヤちゃんを加え、バズとして2011年4月には6人のルーキーが入っていました。

関西から関東に行くという覚悟

私は岡山県の山奥の田舎町出身で、大学は大阪体育大学を出ています。

西日本に住んでいる人や、西日本が出身の人からすると、関東に出てくることは多くのことを犠牲にする覚悟をしなければなりません。

親と会う回数も極端に少なくなりますし、地元の友人とBBQをしたり、海に行くこともできなくなってしまいます。

また、大学でせっかく築き上げた友人関係も疎遠になってしまうこともあります。

これらは全て現状私が犠牲にしているものです。(うまくお付き合いしている方もいますが)

多くのことを犠牲にして、覚悟を持って関東に行くかどうかを決めなければなりませんでした。

いろんなことを犠牲にしてきて、失ったものもありますが、それ以上に得たものも多くあるので、今では関東に出てきて本当に良かったと思ってます。

とりあえず2年だけやってみよう

そして、色々と悩みましたが私が2010年に出した答えは

「とりあえず2年だけやってみよう」

というものでした。

これはつまり、「2012年のWUGCに出場してそこを区切りに辞めて岡山に帰る」という決断でした。

たくさん悩んだのですが、「とりあえずやってみよう」と思い、なんとか東京での仕事を見つけ、バズに入るということを決断しました。

そして、2年後を迎えた2012年WUGCではWU23UCとはまた違った悔しさを味わうことになり、見事にアルティメット中毒者になってしまったのです。

ちゃんちゃん。

最後に 〜たった一度きりの人生、挑戦こそ人生〜

最後になりますが、人生はたった一度きりです。

自分の人生は自分しか歩けません。

自分が何かやってみたいことの中でも、やれるかどうか難しそうなことや周りから無理だと否定されることはあるかもしれません。

でもやってみないとわかんない事は本当にたくさんあります。

現在私はアルティメットをビジネスにしたいという思いで、このブログを書いたり、クリニックをやったりと活動していますが、その根本には

「とりあえずやってみよう」

という想いがいつもあります。

行動してみれば、何とかなるもんです。

成功の反対は、失敗ではなく何もしないこと」って誰かの名言でもありますからね。

というわけで皆さんも実りある挑戦を!

それではまた。