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【引退迷子】人生のどん底・2017年春〜2019年を振り返る

ひとりごと
この記事を書いた人
能勢 雷人

大阪体育大学BOUHSEARS(2007~2010)〜文化シヤッターBuzzBullets(2011~2022)〜Bustar
ポジション:ハンドラー
日本代表歴:2010WU23UC、2011,2015,AOUC、2012,2016,WUGC
埼玉県フライングディスク協会事務局長
JFDA公認ゲームアドバイザー
U.C.ABLAZERS(ユースチーム)創設

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こんばんは、雷人です。

三連休初日、ラントレを無事に終了しブログの毎日更新4日目に入りました。日々の積み重ねでしか高いところにはいけないので今日も積み上げます。

今日は番外編的な話になりますが少し人生を振り返って、とても辛かったこれまでの人生のどん底・2017年春〜2019年春を振り返ってみようと思います。

この記事が今辛いと思っている人にとって何か1つでも勇気になればなと思っています。

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【引退迷子】人生のどん底・2017年春〜2019年を振り返る

先日ツイッターで1月の三連休について振り返ったツイートをしていた時に、「2年前は人生のどん底だった」ということを思い出しました。

その後よくよく考えてみると、思えばどん底のスタートは2017年春だったことを思い出し、いい機会のなので振り返ってみようと思います。

改めて振り返ってみると気づくこともあると思うので、思い出しながら書きます。

引退を決意した大会への道が絶たれ、引退迷子の私の人生どん底ストーリーです。

輝かしい2016WUGCから、闇の2017年へ

2016年は世界大会イヤーで日本代表としてチームに残っており、ギリギリのところでメンバーに食い込みました。

2012年の自国開催5位という屈辱を胸に、オープン代表は躍進を遂げファイナルまで駒を進めアメリカに敗退はしましたが世界大会準優勝という結果を残しました。

私も決勝戦では2ターン?出場することができましたが、最強アメリカ相手に何もできずに終わりました。

そんな人生でもなかなかできない輝かしい経験を経て、2017年の春に闇に入ります。

多くは語れませんが、チーム内での問題からチームは4月から10月までの半年間の活動停止になりました。

2016年の日本代表でもギリギリのポジションであり、個人的にもプレーの質に限界を感じていたこともあり、私は2018年のWUCC(世界アルティメットクラブ選手権)でプレイヤーとしての区切りをつけようと考えていました。

バズはクラブ選手権での優勝を目指しているのでチーム作りは四年計画で行われます。2015年シーズンから私は副キャプテンという立場でチームを引っ張って行くところにいました。

四年計画は2015年、2016年と順調?に目標を達成しており、2017年はクラブ選手権に向けて仕上げの年となっていました。さらにご存知の通りクラブ選手権の出場権は前年の全日本選手権の結果により出場チームが決まります。

ですが、半年間のチーム活動停止により自動的にクラブ選手権への挑戦権も絶たれてしまいました。

ここがどん底ストーリーのスタートであり、私が引退迷子になったスタートです。

活動停止中はかなり精神的に落ちており、もう全て辞めて田舎に帰ろうとも考えました。

でもそんな時にチームメイトの支えもあり、大学からの同期である古澤選手に「2018年の全日本選手権で日本一を奪還するところまではやり〜」と言われそこまでやろうと決めました。

活動再開の2018年から、人生初の入院。しかも連続

2017年秋から活動再開したチームは本来なら集大成の年であったクラブ選手権イヤーを迎えます。

チームとしてクラブ選手権には出場できないことは決定事項であったので、半年間のブランクがありながらもチームの目標は「日本一の奪還」と「US-OPENベスト4」になりました。

活動が再開され、チームの目標が決まった時に、私個人としては日本一奪還が終われば引退という風に考えていました。

その後7月に行われた全日本選手権を無事に優勝し、日本一奪還をすることができました。

ここで引退のはずがなぜだったか忘れてしまいましたが、何かしらの事情があり8月のアメリカ遠征「US-OPEN」にも出場しました。おそらく惰性です。(惰性は危険。)

オリンピック需要に向けて建築業界がバタつき始めたのもこの頃で、心身ともに疲れ始めていた10月に体にある異変がおきました。

とんでもない喉の痛みと40度の高熱があり、病院に行ったところ扁桃腺に膿が溜まる「扁桃膿瘍」という病気にかかっており、「即日入院・手術」と医者に言われました。

この時30歳だったのですが、それまでほとんどと言っていいほど病院にお世話になることはなく、なんなら病院が嫌いな人間でした。

それが「即入院」です。これは凹みました。心身疲れていたところだったのでさらに落ちました。

人生史上一番だった激痛の膿を摘出する手術を終え、5日入院し無事退院し、その2週間後にはチャンピオンズリーグに出場しました。(ここもなぜか惰性でまだ引退しない・・。)

ガイアカップを終えた後に、再度体に異変が起こります。症状は全く同じく喉の痛みと40度の高熱。再び同じ病院にかかり、下された診断は「逆側の扁桃膿瘍」・・・。

またかよ。

「またあの激痛の手術と入院をするのか」と本気で嫌になりました。1回目の手術はどのぐらい痛いか知らない状態だったので耐えられましたが、2回目はワケが違います。痛すぎて、手術中医者の腕を掴んで怒られました。(座ったままの患部麻酔の手術)

2回目の入院中に医者から「この短期間で扁桃膿瘍を繰り返すようであれば扁桃腺を摘出したほうが良い」と言われ、年明け三連休を絡めて入院・手術することにしました。

この辺はもうどん底中のどん底ど真ん中です。仕事もパンパン。体ボロボロで入院して休んでまた仕事パンパン。入院中も電話したりiPadでメールしたりしてました。

2019年、3度目の入院。そして退職

先述の通り、2年前の1月3連休が始まる今日、バズは地獄のラントレ合宿をする中、私は病院にいました。3ヶ月で3回目の入院ともなると小慣れたもんで看護師さんも顔見知りです。

人生初の全身麻酔で無事に扁桃腺の摘出は寝ている間に終わりました。

扁桃腺摘出手術はやったことある人から「術後まじで喉いたすぎてえぐい」と脅されていましたが、医学は進歩していたのか、前の手術の方が痛すぎて痛覚がバグっていたのか、術後は順調に回復しました。

入院されたことある人はわかると思いますが、入院中って基本暇なんです。

主に仕事で忙殺され余裕のある時間が全くない状況から、急にポンッと時間のある入院生活です。

30歳になっていた私は、この時いろんなことを考え、「自分にとって幸せとはなんなのか」を考えたりしていました。

とにかく急に時間が出来たし、節目の年だったので色々と人生について考え直しました。

そして退院後、会社もアルティメットも辞めることを決め、その意向をまずは同じ本社で働いていたチームの先輩へ伝えました。

そこで両方辞める気持ちでいましたが、先輩から「会社を辞めても、強化選手としてチームに残ってはどうか」と言っていただき、まだやり残していることがあると感じていたのでありがたく受け取り、会社のみ辞めて強化選手として残ることになりました。

この時の決意としては「2019年のUS-OPENまでに自分のやっていたゾーンのポジションをある後輩に引き継いで引退」と決めていました。

退院後1月いっぱいで仕事を辞め、その後の人生についてさらに考える時間が出来たことで、40歳までの次の10年をどう生きるか考えました。

世間のことを何も知らずに社会人になってしまっていたことに危機感を覚え、図書館をウロついては興味ある本を買い漁り、勉強に没頭しました。

それからの話は「アルティメットをビジネスにする」とブログ書いたり、クリニックをしたり、チーム作ったりとみなさんの知る通りです。

とにかく、2017年4月の活動停止から2019年1月退職ここまでの人生はとてつもなく辛いことばかりで本当にいま振り返ってみるとどん底だったなと思います。

これからこの時以上のどん底が来ないことを祈っています。

その後〜2019年US-OPENとチャンピオンズリーグ

仕事を辞めた後はなんやかんややりながら、引退すると決めていた「US-OPEN2019」に出場しました。

自分が引退条件で決めていた「後輩の育成」もある程度のレベルになって引き継げたかなと思っていました。

しかしその後、チーム内の方針で「チャンピオンズリーグに若手だけ(私たちより下の世代)で出る」ということが決まったのですが、私たちの世代を抜いてしまうと人数があまりにも少ないのでわたしたちの代までで出ることになりました。(引退延長・・・。)

「じゃあチャンピオンズリーグまでやるね」とチームメイトにも伝えた上で大会に入りました。そしていざ大会を終えると最終試合でノマにボコされて負けました。

引退を決めていた試合で負けてしまったので、流石に引退するにはなんとも言えない気持ちになりました。試合後に引退の挨拶的なことも考えてたのですが、モヤモヤしていたのでミーティングで「ちょっと考え直します」とチームには伝えました。

その後色々チームメイトとも話をしているうちに「もう少し区切りの良いところまでやる」と決めました。2020年開催予定だった世界大会への代表選考は辞退したこともあり、良いところの区切りとしては、「2022年のクラブ選手権で世界一奪還」と考えて、あと2年は長いなぁなんて思っていたところでやってきました「コロナちゃん」です。

コロナの影響で世界大会のサイクルが変わる可能性もあり、こうして引退迷子になっている私はさらにいまどこに向かえば良いのかわからない状態で、深い霧の中を歩いています。

引退迷子の話は以上です。

まとめ

人生のどん底だった時期を改めて振り返ってみると、本当に辛かった思い出ばかりです。ですが、そんな中でもチームメイトを始め多くの人に支えられたことに気づかされます。

どうかもしあなたが今コロナがきて色んなことが制限されて先が見えないと思っているのなら、周りの仲間を頼って欲しいです。私も昨年コロナでアルティメットの活動が一切できなくなった時に助けてくれたのはチームメイトでした。

今日の話で伝えたいことは「自分がどん底なときでも支えてくれる人は必ずいるから大丈夫。なんとかなる」ということです。(それと「健康第一」)

願わくば納得のいく形でチームを引退したいので、1日も早くコロナがある程度落ち着き従来のような大会が行われる状態になることを願っています。

というわけで今日はこの辺で。

ではまた。

悲しい時だけに 泣くんじゃないだろ俺たちは
共に立ち上がり 共に喜び合い 支え合う涙の日々よ

仲間/ケツメイシ